小磯 良平 Ryohei Koiso
1903年(明治36) 貿易商岸上文吉・こまつの8人兄弟姉妹の次男として7月神戸市中央区で生まれる。
1917年(大正 6)14歳 兵庫県立第二神戸中学校(現兵庫高校)に入学。のちに親友となる竹中郁と出会う。
1922年(大正11)19歳 東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科に入学。
1925年(大正14)22歳 東京美術学校西洋画科在学中、第6回帝展に「兄弟」が初入選。
この年父が死去。小磯家へ養子に入る。
1926年(大正15)23歳 第7回帝展で「T嬢の像」が特選を受賞。
1927年(昭和 2)24歳 東京美術学校西洋画科を主席で卒業。卒業制作は親友で詩人の竹中郁をモデルにした「彼の休息」。
1928年(昭和 3)25歳 渡仏して竹中郁とパリに滞在。2年間滞在中にヨーロッパ各地を旅行。
1929年(昭和 4)26歳 パリのサロン・ドートンヌに入選。
1930年(昭和 5)27歳 帰国後、光風会や帝展に出品する。
1932年(昭和 7)29歳 第13回帝展で「裁縫女」が特選を受賞。政府買上げとなる。
この年、萩原貞江と結婚。
1934年(昭和 9)31歳 洋画家田村孝之助と台湾に旅行する。
1936年(昭和11)33歳 帝展改組に伴い、猪熊弦一郎・中西利雄・脇田和・内田厳らとともに新制作派協会を結成。
1938年(昭和13)35歳 陸軍報道部の委嘱により上海に渡る。
1940年(昭和15)37歳 第11回朝日文化賞を受賞。
1942年(昭和17)39歳 「娘子関を征く」が第1回芸術院賞を受ける。
1945年(昭和20)42歳 神戸空襲で住居とアトリエを失う。
1949年(昭和24)46歳 現在の神戸市東灘区に住居とアトリエを新築する。
1950年(昭和25)47歳 東京藝術大学油絵科講師となる。
兵庫県文化賞を受ける。
1953年(昭和28)50歳 東京芸術大学教授に昇任する。
1954年(昭和29)51歳 神奈川県逗子市にアトリエを構える。
1957年(昭和32)54歳 朝日新聞連載の石川達三「人間の壁」に挿絵を描く。
1958年(昭和33)55歳 第3回現代日本美術展で「大衆賞」を受ける。
1960年(昭和35)57歳 ヨーロッパ旅行に出る。翌年アメリカ経由で帰国。
1961年(昭和36)58歳 朝日新聞連載の川端康成「古都」に挿絵を描く。
1971年(昭和46)68歳 東京藝術大学教授を退官、同名誉教授となる。
画業50年小磯良平展を開催。
1973年(昭和48)70歳 愛知県立芸術大学客員教授となる。
赤坂迎賓館の壁画の依頼を受け、制作に着手。
勲三等旭日中綬章を受ける。
1974年(昭和49)71歳 迎賓館赤坂離宮大広間の壁画、「絵画」・「音楽」が完成。
1976年(昭和51)73歳 宝塚大劇場の緞帳をデザインする。
1979年(昭和54)76歳 文化功労者となる。
1980年(昭和55)77歳 山梨、岡山、愛媛、広島で小磯良平展開催(135点陳列)。
1982年(昭和57)79歳 年来の親友竹中郁が死去。
日本芸術院会員となる。
1983年(昭和58)80歳 東京、神戸、尾道、北九州で〈画業60年〉小磯良平のすべて展開催(代表作162点陳列)。
文化勲章を受章。
神戸市名誉市民の称号を贈られる。
1987年(昭和62)84歳 兵庫県立近代美術館など全国5会場で小磯良平展
開催(164点陳列)。
1988年(昭和63)85歳 肺炎のため逝去。
1992年(平成 4) 神戸市に寄贈された作品、資料とアトリエをもとに、
神戸市立小磯記念美術館が開館。