須田 国太郎  
  
1891年(明24)  京都市に生まれる  
1916年(大5)   京都帝国大学文学部哲学科卒業  
1917年(大6)   関西美術院入学  
1919年(大8)   渡欧 マドリードを拠点にヨーロッパ各地を巡歴。スペ
            イン美術とヴェネツィアを研究。 
1923年(大12)  帰国  
1925年(大14)  和歌山高等商業学校講師となり、美術史を講ず。
            松井絹子と結婚。  
1932年(昭7)   銀座資生堂にて個展開催。  
1933年(昭8)   和歌山高等商業学校講師を退く。  
            京都帝国大学文学部講師となり、美術史を講ず。  
            独立美術京都研究所の開設に伴い、学術面の指導者として
            招かれる。
1934年(昭9)   独立美術協会会員となる。
1936年(昭11)  京都帝国大学文学部講師を退く。  
1947年(昭22)  帝国芸術院会員(日本芸術院会員)に選ばれる。
            京都大学工学部講師となり、実技を講ず。
1948年(昭23)  京都市立美術大学講師となり、実技を講ず。 
1949年(昭24)  京都大学文学部講師となり、1年間美術史を講ず。  
            京都市立美術専門学校客員教授となる。  
1950年(昭25)  自薦作品鑑賞展を大阪髙島屋にて開く。  
            京都大学工学部講師を退く。 
            京都工芸繊維大学工芸学部講師となり、実技を講ず。  
            京都市立美術大学教授および京都市立美術専門学校教授と
            なる。  
            奈良学芸大学講師となる。   
1952年(昭27)  京都市立美術専門学校教授を解かる。 
            京都学芸大学講師となり、実技を講ず。  
1956年(昭31)  京都学芸大学講師を退く。  
            京都市立美術大学学長代理となる。  
            第28回ヴェネツィア・ビエンナーレに「法観寺塔婆」
            などを出品。
1957年(昭32)  神奈川県立美術館に於いて北川民次と二人展開催。 
            京都市立美術大学学長代理を解かる。  
1958年(昭33)  奈良学芸大学講師を退く。  
1959年(昭34)  関西画壇の向上に貢献した功績により、毎日美術特別賞を
            受ける。  
1960年(昭35)  京都市立美術大学教授を退く。  
            同大学名誉教授の称号を受ける。  
            京都国立博物館評議員を解かる。  
1961年(昭36)  京都市篤志者として表彰される。  
            12月、京都大学病院にて死去。
            瑞宝章を授けられる。